さとみと私。

さとみと私。

私と本との耽美な思い出。

メンヘラとの境界線がなくなっていく。-鈴木先生-

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メンヘラが加速したクリスマス前

まったくもってメンヘラではない私だけれど、

クリスマスが近づくにつれ持ち前の非リアキャラを発揮せんとばかりに、

メンヘラ風を装っていた。

 

「え~先輩もう帰っちゃうんですか寂しいです…もう少し残って仕事しましょう(上目遣い)」

「クリスマス1人で予定ない、さみしい死んじゃう…(ぷぅって顔をしながら)」

 

メンヘラを装うのが楽しくて、メンヘラの記事もたくさん読み漁っていた。

 

本当に寂しくなってきたクリスマス前日

クリスマス前、正確に言うと去年は3連休だったのでクリスマス2日前の木曜の夜なのだが、

みんなが仕事を終えて退社していくにつれ、ものすごい寂しさに襲われ始めた。

 

「なんで私こんなに寂しい人なんだろう…」

「もう一生誰からも愛されることなく死んでいくんだろうなぁ」

「ああ、でも1人で死ぬのだけは絶対に嫌だ。せめてお墓に入りたい…」

 

この先のことを考えれば考えるほど不安になり、

寂しさで泣きそうで、誰かにかまってほしくて、

でも人に頼れなくて、どうしようもない悲しさと寂しさを抱きながら、永遠と広告の配信設定を続けていた。(仕事があってよかった)

 

エビデンス

 

この感じはそう、「鈴木先生」。

 メンヘラを装うほどに、もしかしたら私は本当にメンヘラではないかと思うほどに、

メンヘラと私の境界線がなくなっていき一体化していた。

 

演じることで一体化していくこの感じ、私はたしかに知っている。

鈴木先生』に出てきた教えを、私が体現していたのだ。

 

鈴木先生の教え

鈴木先生』は中学校教師の鈴木先生が自身の教育論を展開していく作品。

原作がコミックで、長谷川博己主演でドラマ・映画化もしている。

「でき婚」など性教育にも踏み込んだきわどい一面もあって、奥深くて私好みの作品。

 

そんな映画版の『鈴木先生』でこのような台詞がある。

「みんなはこの先、社会に出て、世の中を知る。それは思っていたほどいいものじゃないかもしれない。イヤな上司もいるだろう。もしかしたら、落ち込んで自分自身を見失うこともあるかもしれない。……そんなときは、演じてみるといい。俺は教師という役を演じている。そして、演じているうちに自分と役の境界線がなくなってくる。つまり、演じるというのは自分自身を成長させるための一つの手法なんだ。」 (映画ノベライス67ページより)

 

演じるうちに一体化していく、そして自らが成長する。

すごく素敵な教えだと思い、ずっと心に刻んで生きてきた。

 

鈴木先生ごめんなさい。

しかし今回は、「メンヘラ」という面倒くさい方でこの教えを体現してしまった。

ごめんね、鈴木先生。教えを間違った方に適応してしまって。

周囲のみなさんもメンヘラなかまってちゃんの時期があってごめんなさい。

面倒くさかったよね、私。

 

明日からは『anego』の篠原涼子を演じて、

はやくバリキャリ女子になれるように精進していくので

クリスマスという面倒な時期にメンヘラを発揮した私を許してください。

 

▼次の目標はanego篠原涼子(不倫はしない)

anego〔アネゴ〕 DVD-BOX   anego (小学館文庫)

 

 

鈴木先生

原作:武富健治 / 脚本:古沢良太 / ノベライズ:蒔田陽平

「学校教育は『普通の子』の心の磨耗の上に成り立っているのではないか」という独自の理論のもと鈴木式教育論を展開していく。一方生徒「小川蘇実」に歪んだ感情を抱いたりと心の葛藤も描く。2007年、文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞受賞。

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